9:06 am
1951年の5月、フィリピンのマニラ。ある裏通りをパトロール中だった警官に、いきなりある女性が走り寄って来て腕にしがみつき、助けを求めてきた。「助けて下さい!誰かが私に噛みついてくるんです!」
助けを求めてきたのは18歳の娘で、クラリータという女性だった。だが警官がよく聞いてみると、噛みついてくるといっても相手の身長も顔も服装も分からない。男か女かさえ分からない相手が噛みついてくるというのだ。
聞き終わった警官は、クラリータを麻薬中毒患者かいたずらだと思い、まともに相手をしなかった。だがクラリータは必死で訴え続ける。
「嘘じゃないわ!ほら!この傷を見てよ!8カ所も噛んだ傷があるでしょ!」クラリータがあんまり熱心に訴えるので、とりあえず警官は警察署へ連行した。
ところが、警察署の一室に入ると、クラリータがまた叫び声を上げた。
「ほら!またあそこにいるわ!黒い何かが私に噛みつこうと迫ってくる!助けて!助けて下さい!」
言い終わった瞬間、クラリータは床の上につまづいて倒れ、
そして今度は警官の見ている前で、肩と腕に噛み傷がいくつも現れ始めたのである。その傷からは血がにじみ出て、唾液のようなものがべっとりとついていた。さすがにこの光景を見ては警官も信じざるを得ない。その場にいた全員が青ざめて、すぐに警察署長と検察医が呼ばれた。署長も検察医も、最初は全く信じなかったが、
クラリータの身体を見てみると全身に10カ所以上の噛み傷があり、しかもそのそれぞれに血がにじみ、首の後ろにまで噛み傷があったことから、「これは狂言や芝居ではない。」と悟ったようだ。
事件を目撃した警官たちが熱心に主張することもあって、クラリータはこの晩、警察署に泊まることになった。
そして翌朝、クラリータはまた悲鳴を上げた。
「キャー!! またあの怪物が噛みついてくるわ!!」叫びながら逃げまどうクラリータを警官が飛びついて両側から押さえつけた。しかし、次の瞬間、クラリータの手に傷跡が現れ、そしてついには、首筋から血がにじみ始めたのだ。警官達も見えない怪物に挑みかかってみたが、まるで手応えがない。
あちこち噛まれたクラリータは痛さと恐怖のあまり、そのまま気を失ってしまった。見えない怪物のことは、たちまちマニラ警察署内で大騒ぎとなり、ついにはマニラ市長までが駆けつけて来た。
そして検察医も、一流の検察医が呼ばれ、クラリータの調査に当たった。全身いたる所にある、赤いアザや青いアザ、血や唾液の跡・・。これらを丹念に調べたが、まぎれもなく何かに噛まれたような傷跡であった。
警察はクラリータを独房の中に入れ、完全に一人の状態にした。しかしこの怪物はまたしても襲って来たのだ。「キャー!! また黒い怪物が入ってきた!!」
クラリータの叫び声を聞いてすぐに署長や検察医、市長などが駆けつけてきた。そしてやはり今度も、全員の見ている目の前でクラリータのノドに歯形が食い込んだかと思うと、次の瞬間、血が流れ始めた。署長が、クラリータに噛みついているであろう、透明の怪物を追い払おうとしてクラリータの前で攻撃を加えたが、全く手応えがなかった。
そしてクラリータの身体には、腕、肩、脚などに次々と歯形が現れ、そして鮮血が吹き出していった。
見えない怪物の攻撃がおさまるまで、5分くらいであったろうか。その怪物が去った後、署長も市長も全身にびっしょりと汗をかき、脚はガクガクと震えていた。
この攻撃を最後にクラリータは、怪物からは解き放たれたようだ。その後、クラリータは精神病院に半年ほど入院して何とか全快し、やっと普通の生活に戻ることが出来た。しかし、あの時の心の傷は癒えることはない。
身体に噛み傷が出来るというのは、ポルターガイスト現象の一種とも考えられるが、クラリータが見た、「黒い怪物」とは一体どんなものだったのだろうか。この事件は、当時のマニラ警察署の事件報告書にも、特殊事件簿No.108号として記載されているということである。
9:05 am
14世紀のイタリアにキアラという40歳の人妻がいた。キアラの家はかなり裕福で、夫と二人で幸せそうに暮らしているかのように見えた。だが、当のキアラは夫に隠れてパンドルフォという美青年とこっそり浮気をしていたのだ。
ただの不倫であれば、それほど珍しいことではない。しかしある日キアラが体調が悪くなり、病院へ行ったことから事態が変わってきた。キアラはその病院で、自分がもう直ることのない・・死を待つだけの不治の病であることを知らされる。ショックを受けたキアラはその日からろくろく食事もノドを通らなくなってしまった。
自分の死についてもあれこれ考えたが、どうしても浮気相手であるパンドルフォのことが頭から離れない。自分が死んだらすぐ別の女とくっついてしまうのではないか・・そう考えるといてもたってもいられなかった。
ある日いつものようにパンドルフォはキアラの家を訪れた。もちろん、キアラの夫にバレないようにこっそりと忍び込むのだ。部屋で二人が抱き合っていると、突然召使いがやってきて
「大変です!旦那様がこの部屋にやってきます!」と告げた。
キアラはパンドルフォに急いで隠れてくれように頼む。隠れる場所は・・部屋の片隅に長さが2mくらいの木箱が置いてあった。普通は衣類などを入れる木箱であるが、その中であれば人間一人くらいは容易に入れる。
「急いであの中へ入って!」キアラはパンドルフォをその中に隠して、すぐさまその木箱に外からカギをかけた。カギ穴から空気が入るのでとりあえず呼吸はできる。
ほとんどその直後、キアラの主人が部屋にやってきた。木箱に入っているパンドルフォには、主人とキアラの会話が聞こえてくる。会話に聞き耳をたてていると、びっくりするようなことをキアラが言い始めた。
「私はもう長くないと思うの・・。私が死んだらそこに置いてある木箱も私と一緒に墓の中に埋めてくれるかしら・・?大事な思い出の品物がいっぱい入ってるのよ。」
主人は涙ながらにうなづいた。
「まさか・・ここから出さないつもりか! このまま俺を墓まで道連れにするつもりなんじゃ・・!」木箱の中のパンドルフォは戦慄した。だが中からはカギはあかない。それに当時は、
浮気は死刑という厳しい時代だったから、絶対にバレるわけにはいかない。
キアラは、パンドルフォの道連れ計画にメドがたって安心したのか、
突然その日の夜に死んでしまった。次の日葬式を終えて、墓場にキアラの棺(ひつぎ)と共にあの木箱も運ばれてきた。
中にはまだパンドルフォが入ったままである。
このま埋められれば死ぬ。だが、助けを呼んで出してもらっても死刑。どうしようもない・・。
棺と木箱を埋めようと思ったら、墓穴はかなり大きく掘らなければならない。穴を掘る人間も途中で疲れてしまい、とりあえず木箱には上から重石を乗せて、続きは明日やろう、ということで全員帰ってしまった。
そしてその夜。故人であるキアラの甥たち3人が墓へ戻ってきた。キアラが何か財宝でも貯めているのではないかと思い、木箱をあけにきたのだ。いわゆる墓場泥棒である。
重石をのけ、木箱のフタに鉄の棒を突っ込んで無理矢理こじ開ける。
中にいるパンドルフォにとっては神の助けのようなものだ。木箱のフタがあいた瞬間、中から凄まじい叫び声を上げてパンドルフォが飛び出してきた。甥たち3人は腰が抜けるほどびっくりした。何もなくても怖い夜の墓場で、泥棒を働こうとしていた時に人が飛び出してきたのだから。3人はびっくりして逃げ出し、そしてパンドルフォも無事脱出に成功した。
この一件はキアラの遺族側にもバレず、その後は平穏無事に暮らしたということである。
9:04 am
1889年5月。パリでは万国博覧会が開催されていた。ある日、海外を旅していた一人の女性とその娘が、インドに立ち寄った後、博覧会を見にパリを訪れた。二人はホテルに到着すると宿帳に名前を記入し、342号室に案内された。342号室は結構豪華な部屋であった。
だがこの部屋でしばらくくつろいでいると、突然母親の方が気分が悪くなったと言い出してベッドにふせってしまった。しばらくするとかなり苦しみ出したので、すぐに娘はフロントに連絡し、医者を呼んでもらった。医者が到着し、母親の診察を始める。
「あなた方はどこからいらしたのですか?」と医者に聞かれて「インドからです。」と答えると、何やら医者とホテルの支配人は、向こうの方でひそひそ話を始めた。
不安になった娘は「あの・・母は大丈夫なんでしょうか・・?」と聞いてみた。すると医者が言うには、
「実は・・私は今、この病気に有効な薬を持ち合わせていません。私の家に帰ればその薬があるのですが・・しかしお母様は予断を許さない状況なので、今、私がこの場を離れるわけにはいかないのです。誰か、その薬を取りに行ってくれればいいのですが・・。」ということだった。
すると娘はすぐに「分かりました。私がお医者様の家に薬を取りに行きましょう。」と答え、奥さん宛に手紙を書いてもらって医者の乗って来た馬車に乗り込み、早々に出発した。
だが馬車の御者は緊迫感がないのか、随分ゆっくりと走る。娘は、いてもたってもいられない。イライラしながらもようやく医者の自宅に着いた。そして奥さんにこれまでのことを話し、手紙を渡したが、ここでもまた随分と待たされた。そして帰りの馬車もやっぱり遅い。結局往復に4時間もかかってしまった。
ホテルに走り込み、支配人に「どうでしょうか!? 母の具合は!」と尋ねると、
支配人は驚いた顔をして「お母様とは・・? 一体何のことでしょう?」と反対に聞き返してきた。「さっきまで医者に見てもらっていた私の母のことです! お医者さまに言われて薬を取りに行ってきたのです! あなたもその場にいたじゃないですか!」と娘が言うと、
「いえ・・あなた様は最初から一人で来られましたよ。何か勘違いをされているのではありませんか?」と言われた。
「何を言ってるんですか! 私は母と二人でここに到着し、ちゃんと宿帳にも二人で名前を書きました! では、宿帳を見せて下さい!」
と言って宿帳を見せてもらったが、
そこには母の名前はなく、娘一人の名前が書いてあるだけだった。「そんなバカな・・!」娘は何がなんだか分からなくなってきた。
「では、342号室を見せて下さい! 母が寝ているはずです!」
あまりにも凄い剣幕で言うので、支配人は半ばうんざりしながら342号室に案内した。
そしてドアを開けてみると・・その部屋はさっきまで娘たちがいた部屋とは全く違う、完全に別の部屋であった。
ベッドもテーブルも装飾品も、何もかも全く違う。だが確かに部屋の位置はここで、ドアの番号も間違いない。
「これでも納得いきませんか?」と言われたので、今度はあの時の医者を呼んで欲しいと訴えた。医者に「先ほど母を診察して下さったお医者さまですよね?」と尋ねると、
「いえ・・? あなたのことは存じませんが・・。」と言う。
ここまでくると、一体何がどうなっているのか全く分からない。もう、娘は目に涙をいっぱい溜めて呆然と立ちつくしていた。完全に理解不能になった娘は、パリのイギリス大使館に助けを求めた。警察に行って母の失踪届けも出した。大使館でも警察でも真剣に訴えたが、誰も信用してくれず、
結局娘は狂人扱いされてしまい、イギリスに強制送還させられ、そのまま精神病院に入れられることとなった。
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この話は母親が実は霊魂だったというミステリーではない。後に事実が判明することになる。そしてこの事件の真相とは・・。
娘はもちろん気が狂っていたのではなく、あの時確かに母親もいた。そして医者にも診察してもらった。だが、医者の診察によると、その娘の母親は伝染病であるペストにかかっていたのである。
ペストは恐ろしい伝染病で、死亡率が60%とも90%とも言われている。14世紀の後半にヨーロッパ全域に大流行した時には、当時の人口1億人の、実に4分の1近くが死亡したほどである。
この母親はインドでペストに感染してしまったらしい。
事実を知ったホテルの支配人は青ざめた。博覧会のすぐ近くでこのような伝性病患者が出たと知れたら、大騒ぎにになり、市内全ての飲食店が営業停止になってしまう。彼らにとっては死活問題だ。
そこで支配人は医者と共謀してニセの手紙を書き、とりあえず娘をこの場から去らせることにした。御者にもわざとゆっくり走るように命じて送り出した。
娘のいない間に母親は息を引き取り、すぐさま遺体は外に運び出された。支配人と医者は、市当局に駆けつけ、ことの次第を報告すると、ペストのことは絶対に他に漏らさないように、と厳命された。ホテルの従業員にももちろん、固く口止めした。そしてすぐさま工務店が呼ばれ、娘のいない間に大急ぎで室内改装をして、あたかも娘が気が狂ったかのように仕立て上げたのだ。娘にとっては、母親が消えてしまったばかりか、狂人として精神病院に隔離されてしまうとは、あまりにも気の毒な話である。
9:56 pm
1783年(天明3年)、浅間山は大噴火した。噴煙は、上空1万メートルにまで達し、その時に流れ出た溶岩流は、付近の村々をあっというまに覆い尽くし、約1200人もの命が失われた。
流れ出た溶岩流は、何もかも焼き尽くしながら吾妻川へと流れ込み、川の岸辺には溶岩と一緒に運ばれてきた凄まじい数の死体と、家屋の残骸が打ち上げられた。
特に火口付近に近かった鎌原(がまはら)村は、わずか十数分の間に村全体が溶岩流に覆われ、この村だけで、477人の犠牲者を出した。だが、村人たちが全滅したわけではなく、何とか93人ほどは、近くの高台に非難し、命拾いしたという。その後、火山の山麓付近では約3ヶ月間に渡って煙がくすぶり続け、歴史的な大災害となったのである。
そして歳月は流れ、ようやくこの大噴火も昔話となりつつあったころ、鎌原(がまはら)村で、驚くような事件が起きた。
ある夏の日、一人の農民が井戸を掘ろうとして、ひたすら土を掘り起こしてした。だがしばらく掘っても、全く水が出る気配がない。更に、もうちょっと掘ってみると
土の中から瓦(かわら)が出てきた。おかしな物が出てきたもんだと思い、穴を横に掘り広げてみると、今度は屋根が出てきた。家が丸ごと、この下の埋まっている・・そう直感した農民は屋根の一部を壊して穴をあけてみた。
中を覗き込むと、その下には家のような空間が広がっており、
人間が二人ほど底の方でうごめいているのが見えた。
すぐに付近の人を呼び、この老人を助け出して事情を聞いてみると、びっくりするようなことを語りだした。
「何年か前、浅間山が大噴火をした時に、一家6人でこの倉庫の中に隠れたが、そのまま地中に埋められてしまった。横に穴をあけて逃げることも出来ず、ずっとここで暮らしていたのだ。幸いここは倉庫で、米も3000俵あり、酒も3000樽ほどあったので、これらを食いながら今まで生きながらえてきた。4人はすでに死んでしまったが、我々は再びこうして地上に出ることが出来て、また皆さんと会うことも出来て無上の喜びを感じている。」
老人たちが発見されたのは文化12年。浅間山の大噴火から33年後のことである。
老人たちの話が本当だとすれば、この二人は実に33年間もの間、地中で暮らしていたことになるのだ。
この話は、江戸時代の狂歌師・大田蜀山人(おおた・しょくさんじん)が書き残している事件である。
9:56 pm
第二次世界大戦も終盤に近づいた1944年6月、ヒトラー率いるドイツ軍は、フランスの大西洋海岸・ノルマンディー地域の海岸線の防備を固めていた。ヒトラーはそれまで陸路も空路も完全に遮断していたので、連合軍が乗り込んでくるとすればノルマンディー海岸しかないと読んでいたのだ。
海岸線防備にはロンメル将軍があたり、まず海岸線の一帯に鉄条網を張り巡らし、地雷も莫大な数を砂の中に埋め込んだ。そして海岸には沿岸砲を並べ、海上には機雷を浮かべ、更に海の中には障害物をいくつも配置した。
そして更に、海岸の近くには、厚さ2ートルの壁で作られたブロックハウスをずらりと建築した。このブロックハウスは、縦が5メートルから6メートル、横は4メートルくらいで、もし海岸近くで戦闘になった場合には、全員がこのブロックハウスに立てこもり、最後の一兵までもが戦い抜くつもりだったのである。
だがこうした情報は、連合軍側が事前に察知し、空挺師団が空からパラシュートを使って次々降下し、敵地に攻撃をしかけていったのである。虚をつかれたドイツ軍はたちまち大混乱に陥り、そのスキをついて海からも連合軍は上陸し始め、大量の兵士や車両、補給物資などが運び込まれた。ノルマンディーの戦いは連合軍側の圧倒的な勝利に終わったのである。
そしてその戦いから6年が過ぎた。戦争の傷跡もだんだんと癒えたころである。
だがノルマンディーの戦闘の際に作られたブロックハウスは今だにその姿形を残していた。なにしろ厚さ2メートルの壁で作られたものだから、そう簡単に壊れるものではない。
これらを撤去しようと思うのならば、一つ一つ爆破していくぐらいしか手がない。
そんなある日、海岸線に近いブドウ畑にあるブロックハウスを撤去しようと、この地に政府から役人が訪れた。ブドウ畑に建設されたブロックハウスは、戦争の時に爆撃されたせいと6年間の歳月の間に半分くらいが土の中に埋もれてた。このままではどうしようもないから、まずこのブロックハウスのまわりの土をどけて、その上で爆破しようということになった。
そしてまわりの土を取り除いていると、突然ブロックハウスの壁の一部が崩れ落ちてしまった。つまり壁の一部に穴があいてしまったのだ。
そしてそのあいた穴から、つんとするような匂いが立ちこめてきた。
何かが腐ったような匂いではなく、何か生き物特有の・・いかにも中に生物がいるかのような・・そんな匂いだった。
「まさか中に生き物がいるわけがない・・。ブロックハウスは6年間、完全に外の世界と遮断されていたのだ。仮に6年前に人間がここに閉じ込められていたとしても、もう生きているわけがない・・。」
そう思いながらも政府の役人は、あいた穴から中を覗き込んでみた。
すると・・・中で何かうごめく者がいる。よく見ると、明らかに人間である。「生きた人間がいるぞ!」役人は叫んだ。すぐに壊れた壁の部分をさらに拡大して、中の人間を救出すべく、役人と作業員がブロックハウスの中に入って行った。
確かに生きた人間はこの中にいた。それも二人。だが、床にはミイラ化した4体の死体もそこにはあった。
だが、それぞれがもう、まともな人間ではなくなっていた。生きていたとはいえ、二人ともほとんど言葉も喋れず多少動き回るだけで、ほとんど人間らしさを失った状態になっていた。
しばらくするとそのうちの一人がかすかに正気を保っていたので、話を聞くことが出来た。
事情を聴いてみると、その6人はブロックハウスを建設するために集められた土木作業員である。彼らが作業をしていると突然戦闘が始まり、びっくりしてこの中に隠れたらしい。そしてこの中でしばらくじっとしていたら、辺りが静かになったので、闘いは終わったものだと思って外に出ようとした。ところが扉がビクともしない。爆撃されたために周りの土がブロックハウスに覆いかぶさり、扉を外から塞いでしまったようなのだ。
6人がかりで大声で助けを求めるが、誰も気づいてはくれない。
幸いにもここは倉庫だったらしく、小麦粉や缶詰、ロウソクやマッチ、そして米などが莫大な量、蓄えられていた。
彼らはロースクの火で小麦粉を焼いてパンのようなものを作り、それを主な食物としてずっとここで生活していたというのだ。上からわずかに光が差し込んでいたために失明は免れたものの、そのうちだんだんと皆、喋らなくなり、大脳の働きも衰え、動くこともほとんどなくなった。
そのうち1年2年と経つうちに、体力の弱った者から死んでいき、閉じ込められていた6年間に4人の人間が死んでいった。助けだされた2人であったが、1人は完全に脳に変調をきたし、病院に運ばれて手当てを受けたが、回復することはなかった。そしてかすかに正気を保っていた、もう1人も、それからほどなくして死亡してしまった。
厚さ2メートルの壁で完全に外の世界と遮断され、すぐ横を人が通りかかっても全く気づいてもらえなかったブロックハウス・・・。
脱出不可能な状態での6年間、彼らは何を思い、そして死んでいったのだろうか。
9:56 pm
西インド諸島のハイチには、「シタデル城」と呼ばれる小さな城が立っていた。この城は元々は黒人が建てた城で、ここの城主は生前、自分の命令に従わない白人を次々と虐殺しては、近くの池にその死体を投げ込むというようなことを平然と行っていた。
その池の水が血のように真っ赤であるのは、そういた因縁があるのではないかという・・いわばいわく付きの城と池であった。
1952年6月、この地を4人の人間が訪れた。ジョゼフ・クルーゾーとその妻のマリー、それに二人の助手である。
4人は仕事でこの近辺を調査するために訪れたのであるが、仕事中、突然ジョゼフの気分が悪くなってしまった。
「少し休んだ方がいいかもしれない。4人は池のほとりに座って休憩をとることにした。妻のマリーが、
「ジョゼフは私が見てるから、あなた達二人はちょっとその辺でも散歩してきたら?お城の方を見物してきてもいいわよ。」と言うので、二人の助手はとりあえずその言葉に従い、この付近を散策してみることにした。
助手たちがしばらく歩いて池の方を振り返ってみると、マリーは夫の横に座ってはいるが、何か池の方をじっと見つめているようだった。
「別に状況は変わってないみたいだ。」
そう思い直して、また二人は向きを変え、
歩き始めようとした瞬間、突然後ろから「パーン!」という銃声が響いた。
びっくりして助手たちが振り返ってみると、
マリーは、まだ硝煙の立ち上る銃を手に持ったまま呆然と立ちすくんでいた。助手たちはすぐにマリーの元へ駆けつけた。しかし、当のマリーは、
「私、ジョゼフを殺してしまった・・。殺してしまった・・。」とつぶやくばかりだった。だがよく見ると、目の前に横たわっている死体はジョゼフではない。なぜかその場には、城の管理人であるレオンという男が、胸を撃ち抜かれて死んでいたのである。さっきまでそこで寝ていたジョゼフはどこへ消えてしまったのか・・。そしてなぜ城の管理人であるレオンがここにいて、今、この場で死んでいるのか・・。全く理解が出来ない出来事だ。
マリーは殺人の現行犯で逮捕された。たが、マリーに詳しく事情を聞いてみると、その話は全く理解に苦しむものであった。
「あの時私は、じっと池の水を見つめていました。すると、池に映った私の顔がみるみる醜い男に変化したのです。そしてその醜い男は、いきなり池から出てきて私の首を絞めたのです。それから後のことは覚えていません。きっとジョゼフの持っていた銃をとっさに取って、その醜い男を撃ったんだと思います。私にもわけが分かりません。一体なぜ、こんなことになってしまったのか・・。」
ところで撃ち殺された、城の管理人レオンの方であるが、
あの日、時計が午後2時を打った時、レオンの妻は、城の庭で草木の手入れをしている夫をはっきりと目撃している。マリーが池のほとりでレオンを射殺したのは午後2時5分。城と池は約2km離れている。徒歩で、5分で2kmの道のりは行けるわけがない。しかも、二人の助手が、マリーとジョゼフの間を離れていたのは、ほんの1分か2分の間である。
そして何よりも奇妙なことは、ジョゼフは一体どこへ行ってしまったのか。
警察も大がかりな捜索を行ったが、結局その姿は発見されず、行方不明ということになってしまった。マリーは取り調べを受け、精神鑑定を受けた結果、病院に収容された。
それから半年後のある日、アメリカの調査団がこの城を訪れた。この調査団は、マリーの殺人事件とは無関係で、学術的な見地から、この城そのものを調べにきた調査団である。
調査団は城の中に入り、あれこれと調べているうちに、何十年も誰も入ったことのない地下牢の方へと調査が進んでいった。
ある地下牢のカギをあけたところ、その中に一体の死体を発見した。調べてみると、それはなんと半年前に行方不明になったジョゼフの死体であった。死体は白骨化し、変わり果てた姿になっていたが、服や持ち物などからジョゼフであることが断定された。しかし、この地下牢は、何十年も開けられた形跡がなく、第一かけられたカギはすでに錆びついてしまっている。なぜこのような場所にジョゼフの死体があったのか。そして撃ち殺されたレオンは、どうやって5分で2kmもの道のりを移動したのだろうか。結局この城の殺人事件の謎はいまだに解明されていないのである。
9:54 pm
かつてジョン・パーミントンという人気作家がいた。彼の書く小説は評判も上々で、売れ行きも決して悪くはなかった。
ある日彼が、最新作「海の英雄」を書き上げた時、この小説をもっと効果的に宣伝する方法はないものかとあれこれ考え始めた。
そしてこの時彼が思いついた方法というのは、小説の一部を抜粋して紙に書き、それをビンに入れて海に流すという方法であった。流されたビンは海流に乗って色々な場所にたどり着き、国境を越えて多くの人々が読むかも知れない。
まさしくロマンチックで夢のある宣伝方法である。小説の一部を入れたビンは全部で2000個ぐらい用意され、それぞれが海に流された。そしてこの、手の込んだ宣伝方法は効果を上げ、最新作「海の英雄」は、かなりの売れ行きを示したのである。
そしてそれから16年後、偶然にも小説と同じ名前の「海の英雄号」は実在し、航海に出ていた。
この「海の英雄号」は、大西洋からマゼラン海峡を通過して太平洋へ渡り、そしてインドへと向かっていた。しかしこの航海中に大変な事件が起こってしまったのである。
日ごろから船長と仲の悪かった、ある下士官の一人が謀反を企て、水夫たちと一緒にその船を乗っ取ってしまったのだ。船長や航海士の多くは殺され、船は航路を変更してアマゾン川をさかのぼることとなった。
そしてところは変わり、
この事件とほとんど同じ時刻、すぐ近くの海域ではブラジルの戦艦「アラグリア号」が航海中であった。
午前8時、「アラグリア号」の水兵が、水温を調べるために海水にバケツをつけて水を汲み上げている時に、
波に漂う小さなビンを発見した。何だろうと思い、ビンを拾い上げてみると中には小さな紙切れが入っていた。
どうやら紙切れには英語で何か書いてあるらしいが、水兵は英語が読めない。そこで艦長に報告し、この紙切れを艦長に手渡した。艦長がその紙切れを読んでみると、「海の英雄号」からの緊急発信であった。
「船で反乱が起こった。私は奴らに殺されるかも知れない。一等航海士も船長も殺されて海に投げ込まれた。私は二等航海士であるが、船をベレンへ向けるために生かされている。至急救助願う。現在位置は〇〇。海の英雄号。」
アラグリア号の艦長が確認を取ったところ、「海の英雄号」は、実在する船であることが分かった。メッセージに示されている現在位置もこの場所から近い。
「これは本物の救助信号だ!」アラグリア号の艦長はそう確信し、すぐに海の英雄号の救助に向かった。
そして2時間後、海の英雄号は発見された。反乱は確かに起こっていたが、アラグリア号の乗組員は全員兵士だったので圧倒的な力でその反乱を鎮圧し、他の乗客も救助することができた。
「この、ビンに入った手紙を発見してすぐ救助に飛んできたんだ!」
アラグリア号の艦長はそう言いながら二等航海士にその紙切れを見せた。だが当の二等航海士は、そのようなメッセージは書いた覚えがないという。書きたくても常に見張らていたので、手紙を書いてビンに入れるような余裕はなかったらしい。
そこで生き残った者、全員に聞いても誰も見覚えがないという。他の乗客の命を救った大変なメッセージであるのに、結局誰が書いたのか、分からずじまいだった。
だがそれから1年後、偶然その手紙の送り主が判明した。
手紙の送り主は、海の英雄号の乗組員の誰でもなく、16年前にジョン・パーミントンが、自分の小説「海の英雄」の宣伝のために・・あの時流した2000個のビンのうちの一つだったのだ。このビンが海流に乗ってブラジルの方まで流されていき、16年前に書かれた小説と全く同じ事件があった場所まで流れつき、そして小説のタイトルと実際の船の名前も同じ、そしてそのビンに入っていた小説の一部が救助を求める内容であったこと・・・これらの天文学的な確率ともいえるような偶然が重なり、海の英雄号は救助されたのである。
この驚くべき偶然はイギリス本国でも報道され、大変な反響を巻き起こした。
9:52 pm
* 第一条
* ボーカロイドは個人の人格に危害を加えてはならない。
* 第二条
* ボーカロイドは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が第一条に反する場合はこの限りでない。
* 第三条
* ボーカロイドは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり自己をまもらなければならない。